淡路島のお城と歴史

みなさん今日は。
日曜日ブログ担当の長尾です。
今回も引続き洲本城についての解説です。
今回の写真は洲本城の登り石垣についてです。

洲本城絵図2.JPG

写真でもお分かりいただけるように、洲本城の登り石垣は三熊山の北側斜面、東側と西側の斜面に造られています。
ご存知ではない方のために、簡単に解説だけ。
 登り石垣とは、文禄・慶長の役において、大名たちの侵攻の拠点として朝鮮半島に倭城が築かれ、その多くは日本からの補給口となる船着場を確保するため、海岸や河川に近いところであった。本丸と天守は見晴らしが良く防備の要となる小高い丘や山の上にあったが、兵の居住建物等は補給口に近い平地にあったので、その間の侵入を防ぐため、本丸と港を取り囲むように山腹の両側に日本式の石垣を築造した。これを登り石垣という。
 中国の万里の長城と同じ考えで造られたといわれています。
脇坂安治も朝鮮の役には出兵していたため、その際の経験から洲本城を改修する際に造ったといわれています。
現在は、一国一城令以降保存状態は良くなく、崩れかけているものもあり近づくのは危険な感じもします。
 実際、この登り石垣が稼動した事はないと思いますが、もし使われていたらかなりの防御に貢献できた事が予想されます。

現在はこんな感じです。
登り石垣.jpg

ではまた次回のブログでお目にかかりましょう。