淡路島の地名24

皆さんこんにちは、日曜日ブログ担当の長尾です。
今回も淡路島の地名について、朝日新聞さんの記事を基に書かせて頂きます。
今回の地名は「賀集(かしゅう)」です。
今回はどんな由来が隠されているのでしょうか?
では、早速どうぞ。

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 三原平野の西南部に位置し、淳仁天皇陵や護国寺のある南あわじ市賀集は、「和名抄」にでてくる「賀集郷」の地である。1203(建仁3)年の「紀伊国司庁宣」には「賀志尾」と記されているが、その他のものは「賀集」と表記している。
 「和名抄」には「加之乎(か・し・お)」と注があり、中世の「護国寺文書」には「かしお」「かしう」とある。また1586(天正14)年の「淡路国御蔵入目録」には「かしう」とあり、豊臣秀吉の蔵入り地となっている。したがって「賀集」は、「かしお」「かしう」「かしゅう」と変化してきたのである。
 この「かしお」の由来については諸説があるが、一般には「鹿塩」すなわち塩漬けにした鹿の肉からきているといわれている。賀集地区には鹿子(かのこ)西谷、鹿子奥、鹿子北谷など字名のほか鹿の子池などがある。「日本国語大辞典」によると、鹿子の語源は「鹿(か)の毛(け)」であり、鹿(しか)の子、転じて鹿そのものをさすという。「かしお」の「か」は鹿であり、「しお」は塩だというのである。
 このほか橿(かし)の木の生えている所という意味の「橿生」「橿尾」説、神が集まるという「神集」説、「橿丘」で土のよい所からきたなどの説もあるが、いずれとも決しがたい。
 賀集八幡の集落に「印部」という小字があるのが注目される。1470(文明2)年の「護国寺結番定書」という文書に、「忌部村」が出てくるし、「淡路常磐草」には「忌部は八幡村の旧名なるべし」とある。「印部」は「忌部」が変化したものである。
 忌部とは古代に朝廷の祭祀(さい・し)をつかさどった集団で、身を清めて神事に携わったことからきた名称だという。諸国の忌部は朝廷の祭祀に必要な品物を整え、中央の忌部に送ったといわれるので、この印部の地に忌部の集団が存在した可能性がある。

私個人の意見としましては、神が集まる「神集」説であってほしいなって思っています。
ではまた、次回のブログでお目にかかりましょう。