淡路島の地名

皆さんこんにちは、日曜日ブログ担当の長尾です。
今回の地名は「釜口(かまぐち)」です。
今回はどのような謎が隠されているのか、いつもの通り朝日新聞さんの記事を基に見ていきましょう。
それではどうぞ。

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 淡路市の大阪湾岸に釜口という地区がある。江戸時代には漁業集落の釜口浦、山手には農業集落である釜口村があった。
 この釜口には、法華宗本門派の御太刀(み・た・ち)山妙勝寺があり、次のような伝説が残っている。建武の新政のころ、後醍醐天皇に反逆した足利尊氏は一時京都を占領しながらも結局西へ追われる。その途中尊氏の乗った船が、風波をさけるために釜口の沖に停泊した。このとき、山上にきらめく灯火を見た尊氏がそれを調べさせると妙勝寺という寺だとわかった。「妙勝」という名を聞いた尊氏は、これは戦争に勝つ前兆だと喜んで寺に太刀一腰を奉納した。そこで寺の山号を御太刀山と称したという。その後、再び京都へ攻め上り勝利をおさめた尊氏は、この寺に釜口荘を寄進したと伝えられている。
 妙勝寺には尊氏の御教書など室町期の古文書のほか、多くの石造品が残されている。また庭園は江戸初期の作で県の名勝、境内の大楠は県天然記念物となっている。
 釜口の地は鎌倉初期の土地台帳「淡路国大田文」に出てくる津名郡国領の三立崎(み・たち・ざき)保辺りを指すと推定される。文献に釜口という地名が初めて登場するのは、1523(大永3)年6月1日に伊勢神宮の御師八日市善兵衛尉光家が北新左衛門に売却した道者(檀那(だん・な))株の中にある「かまくちの里」である。更に江戸時代の地誌「淡路草」には、1611(慶長16)年に妙勝寺の住職が書いた祈状(いのり・じょう)の写しがあり、その中に「釜口村」が見える。
 「かま」とつく地名は、釜と関係のある場合のほか、えぐったような崖地や山崩れなどで出来た谷にちなむものが多いといわれる。神奈川県の鎌倉は、崖に由来するという。淡路市釜口の地が海に面していることから、製塩用の釜と関係があるとも考えられるがよくわからない

さていかがでしたでしょうか?
最後にたどり着いたのが、「よくわからない」でしたね。
塩釜に関係ある説が私個人の意見では、しっくり来るように思います。
それではまた次回のブログでお目にかかりましょう。